第壱夜「あずきとぎ」いたこ28号談

投稿者: | 2023年4月5日

何か不思議な話は無いですか?と聞くと、デスクの真佐美さんが「小豆とぎ」の話でもいい?と言う。「それ小豆洗いじゃないの?」と否定する私に、口を尖らせて真佐美さんは「小豆とぎだよ」と笑う。

彼女が小学校2年生の春、東京都内の中古マンションに引越すことになった。築30年、道路側に面した排気ガスで薄汚れたマンションの壁には陰気臭いツタが這いホラーハウスの様で気味悪かった。

「夏になると大量の毛虫が壁を這てさ。それに六階建てなのにエレベーターがないのよ。」

部屋は五階。階段での上り下りはかなり辛かった。
夏休みのある夜、誰かに名前を呼ばれて目が覚めた。初めは母親だと思った。しかし新居に引越してから自分の部屋で一人で寝ている。気のせい……。もう一度眠ろうとすると廊下の向こうから<ショキショキショキショキ>と奇妙な音が響いてきた。

「お爺ちゃんの庭でなる、あの音だと思ったんだよね。」

お正月は秋田にある父親の父宅に帰郷する。大きなお屋敷の旧家。庭には白い砂利が引き詰められ、そこを歩くと同じような音がした。彼女はその音が大好きで何度も何度も歩いた。さほど怖くなかったので音の出所を確かめようと部屋を出た。……風呂場からだった。

<ショキショキショキショキ>

心地よいリズムを刻んでいる。音は彼女が風呂場の前に立つと消えた。音の主を確かめようとドアを勢いよく開ける。そこにはただ見慣れた小さなユニットバスがあるだけ。ガッカリしながら部屋に戻るとまた廊下の向こう側から

<ショキショキショキショキ>

とっ心地よいリズムが聞こえてきた。
その後も何度か同じことがあるが、必ず風呂場の前に行くと音は消え部屋に戻ると始まった。両親に確かめてもらおうと両親の部屋に入ると音がしなくなった。音の主は大人には聞かせたくないんだと思った。

「夏休みが終わる前にどうしても正体が知りたかったんだよね。」

理由は宿題の絵日記に音の主の姿を描きたい。……作戦を考えた。その夜もやはり風呂場から<ショキショキショキショキ>と心地よいリズムで音が聞こえてきた。いつものように風呂場の前まで行くと音が消える。

「眠いからへやにもどる!て叫んでからね。」

わざとらしく足踏みを始める。足音を少しづつ小さくしていき部屋に戻っているように見せかけた。

「いま馬鹿にしたでしょう?だけどこれが旨くいってさ。」

<ショキショキショキショキ>

どうやら彼女作戦は成功したようだ。彼女と音の主とはドア一枚で隔たれているだけだ。ゆっくりとドアノブに手を掛け勢いよくドアを開ける。音の主の姿は無かった。それはアナログのテレビ放送終了後に流れた砂嵐の音に似ていた。

「姿は見えないんだけど、ドッチボールぐらいの音の塊なの」

数秒の沈黙の後『ザッー』という音だけが壁にぶつかり凄い勢いで上下左右に移動をした。突然現れた彼女の姿に驚き「音」が跳ね回っているようだ。彼女の耳元をかすめ勢いよく天井を突き抜ける。『ドッ~ン!!』と地鳴りのような振動が天井全体に響いた。爆音で両親が転がるように飛び起きてきた。呆然と立ちつくしていた彼女は両親の顔を見ると急に怖くなり大声で泣いた。その後あの音を聞くことは一度もなかった。

二学期の初日、学校で友人達にこの話をすると、男の子がそれは「妖怪だよ」といい、次の日「妖怪大図鑑」を見せてくれた。
妖怪名「小豆とぎ」。
巨大な両目に出っ歯の禿げ男が小豆をとく姿のイラストがあった。

「子供ながらに、あんな変態チックなおっさんを見なくてよかったと思ったね。」

姿は見なかったがあれは「あずきとぎ」に間違いないと口をとがらせながら真佐美さんは笑った。

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