「スターボーズ」いたこ28号談

投稿者: | 2023年5月10日

『空手バカ一代』を皆さんはご存知だろうか?
1971年から『週刊少年マガジン』で連載された、原作が梶原一騎、作画がつのだじろう、の劇画漫画である。主人公の空手家が世界中の格闘家と死闘を繰り広げる、最強になりたい昭和の中二病な男の子達に影響を与えた空手活劇だ。私も例外ではなかった。入学した大学にフルコンタクト空手(直接打撃制の空手)部があることを知ったその日に、衝動を抑えられず入部届を出した。『空手バカ一代』の影響をモロに受けた先輩達には色んな意味で凄い人が沢山いた。
男子寮で先輩達が鍋をするからと誘われて行くと、そこには煮えた鍋と皿のみが置かれていた。
……箸がない。

「素早いスピードの突きで具をとれば熱くない!」

「押忍!」

煮えたぎる鍋の中にマッハの拭き手!
誰一人成功せず部屋中は飛び散った鍋の具が散乱した。
圧縮バット三本を手刀で折る先輩は金属バットを手刀で折る夢を見た。
夢の中で大山館長曰く……

「キミなら金属バットを破壊できるよ」

「押忍!」

正夢に違いないと金属バットに手刀一撃。
……腕を複雑骨折。
練習は厳しいが『押忍!』の精神で劇画漫画の世界をリアルに挑戦するエピソード満載の毎日が刺激的で楽しかった。

そんな中に組手がむちゃくちゃ強い先輩がいた。仮にA先輩としよう。A先輩はあまり練習に来ないが、組手の練習がある土曜日には必ず来る、
「実践こそ空手道!押忍!」
の持論から、夜な夜な街に繰り出し喧嘩自慢と戦っているとの噂もある実践空手バカな人物だ。
そんな男臭い先輩に念願の彼女ができた。
愚直な先輩は愛する人をいつでも守れる為に自宅からの通学をやめ、大学の女子寮にいる彼女の近所に住むと決めた。と言っても、季節は七月。大学の周辺で値段が安く空いている部屋を見つけるのは難しい。不動産屋さんに頼み込み、空いているアパートをなんとか紹介して貰ったのだが……。
そこは学生達の間でも有名な幽霊物件であった。
霊が出る部屋なのだ。誰も住めないから空いているのだ。
失恋で首を吊り自殺をした学生がいた、顔面をハンマーで殴られ殺害された事件があった、孤独死しでグズグズにトロケた老婆の遺体があった、等……嘘か本当かわからない不気味な噂が飛び交う部屋だ。ただ、幽霊が出るという噂については、かなりの信憑性があることだけはわかっていた。

「幽霊屋敷に住むのも空手道!押忍!」

と、先輩は私にはよくわからない持論でその部屋に住むと決めた。私は心配しながらも……どうなるか興味津々だった。
そんな先輩は引っ越しが終わった日を境に、必ず参加していた土曜日の練習にすら来なくなった。
幽霊物件と関係があるのか?空手バカであり怪談バカな私は先輩が何らかの心霊現象を体験しているのではと、話を聞きたくて聞きたくて堪らなくなっていた。
ひと月程が過ぎた頃、大学の食堂で先輩を見つけた。先輩は食事をするでもなく、席に座り窓の外に広がる芝生を無表情で眺めていた。

「押忍!」

私の挨拶に少し驚いた顔を見せた先輩を気にせず質問をした。

「先輩!幽霊でましたか?」

少しの沈黙の後。

「幽霊か……出たよ」

引っ越しを終えた二日目の夜に、怪奇現象が起こったという。
築三十年、二階建ての五部屋ある木造のアパート。一階の角部屋が先輩が引越した部屋。台所とトイレはあるが風呂は無い六畳一間のカビ臭い和室だ。家具は机があるだけという殺風景な部屋である。
その日は布団を部屋の真ん中に敷いて眠った。初めはクーラーの室外機の音だと思った。やがてその音は先輩が寝ている畳の下に移動し、それはクグモッタ男の声でブツブツと意味不明な言葉を呟き続けているのが分かった。気になってくると眠れない。五月蝿いのでアパートの下の住民に文句の一つも言ってやろうか……。いや、この下には部屋はない。床下に人がいるわけがない。
声は大きくなる。……お経だと分かった。男が畳の下でお経を絶叫しているのだ。

飛び起き畳に正拳突き!

「うっ」

お経を唱えていた主が絶句した。

「消えたので熟睡できたよ」

正拳突きで霊を祓うことが可能なのですか、とビックリする私に、先輩は「気合」と言う。土曜日の練習に行かなかった理由は大学の課題が大変だったから。「押忍!」さすが先輩!

「彼女とはうまくやってるよ」

しかし……
それから一週間後。食堂で座る心ここにあらずという表情の先輩がいた。「押忍!」と挨拶を済ませると、失礼だと考えながらも我慢できず幽霊は出たのかと聞いた。

「出たよ」

大変だった課題を終わらせた夜、眠っていると息苦しさで目覚めたという。身体が動かない。とにかく身体を動かそうともがいていると、仰向けで寝ている先輩の足元に女が立っていた。白い着物を着た女。首を少し前に曲げ、顔に掛かる長い前髪で表情は見えない。

「王道ともいえる幽霊の姿で出やがった」

と呆れながらも、目をそらしたら負けだと本能的で感じ女から視線は離さなかった。
睨みあう女の幽霊と先輩。
数分間の沈黙が続き、女は左右に首を振ると、ゆっくりと歩き出した。すり足で、先輩が寝ている布団の周りを歩くのだ。何度も何度もゆっくりゆっくりと……。

「何か仕掛けてくるかと覚悟をしたが。それだけなんだよな……で、金縛りだったんだけど、いつの間にか眠っていたよ」

「寝ちゃったんですか……」

次の夜もその女が出たという。

「問題なかったよ。俺には女を歩けなくする作戦があったから」

部屋の壁際にある机の前に布団を敷いた。そうして、上半身を机の下に突っ込んで眠った。

「こうすれば机が邪魔で、俺の周りを歩けないだろう?」

……私は先輩が何を言っているか理解できなかった。

真夜中。昨夜と同じように息苦しくなり目覚めると金縛りで身体が動かない。女が足元に立っているのが、机の下から見えた。
そして女が布団の周りを歩き出したが……机の前で立ち止まった。作戦が成功して机が邪魔で歩けないようだ。
先輩は机の下で「勝った」とほくそ笑んだ。
机の下から女がゆっくりと膝を曲げているのが見えた。屈んだので女の顔が見えると同時に、グッググググッと机の下に上半身を突っ込んできた。目の前に女の顔が、女の髪が顔に覆い被さる。蒼白な顔に見開いた目。目玉は黒一色で白い部分が無かったという。
女が金切声の悲鳴を上げると同時に、先輩は金縛りが解けて慌てて身体を起こした拍子に頭を机の底に強打した。痛さで転げ回る先輩に、女がバカにしたように嗤う声が部屋に響いた。

「空手を嘗めやがって。幽霊に売られた喧嘩を買ったよ」

私は空手は関係ないと思ったが、先輩の語りの腰を折りたくなかったので疑問は黙っていることにした。

次の日の夜。先輩は部屋の真ん中に布団を敷いて女を待った。眠っているふりをしていると突然金縛りになり……女が枕元に現れた。
丹田に息を送り込む。
空手独自の呼吸法「息吹」で金縛りが解けた。
「馬鹿野郎!」と叫びながら飛び起き
女の顔面に正拳突き。
あっ!と驚いた表情で女は弾けるように消えた。

「一発かましてやったら、その日から幽霊は出なくなったぞ!」

凄いぞ先輩!幽霊に勝った!
大変だった課題も今週で終われそうだ。来週から練習に出るから頑張ろうぜ!と威風堂々とした後ろ姿で食堂を出ていく先輩はカッコ良かった。
空手最強!先輩最強!押忍!

しかし先輩は練習には来なかった。げっそりとやつれた先輩を食堂で見かけたのはその三週間後だった。「押忍!」と挨拶をするやいなや「先輩!幽霊どうなりました?」と訊いた。こんな姿に先輩がなっているのは、あの幽霊が関係しているとしか考えられない。

「幽霊か……。あれは参ったよ」

先輩は疲れ切った様子で語りだした。女の幽霊を正拳突きで蹴散らした一週間後の夜のことだという。

「勝ったと確信していたので、熟睡していたんだ」

仰向けの状態で寝ていた先輩は、突然目がさめた。
身体が動かない。いつもの金縛りだ。
丹田に息を送り込む……が、解けない。身体が動かない。
首がぐっと自分の足元を見るように曲がった。
自分の意思ではなく、何らかの力がかかっている。
無理な体制で首を曲げられているので呼吸が苦しくなってきた。
……足元から紫色の霧が湧き上がってくるのが見えた。
霧の向こうから、大勢の男達がお経を読む諷経(ふうぎん)が響いてくる。
部屋の空気が諷経の振動で揺れた。
足元の数十センチ上にある霧の中から、ゆっくりとドッチボールぐらいの大きさがある赤色の丸いもの出てきた。
初めは何か分からなかったが、それが綺麗に剃り上げられた人間の頭頂部だと判った。
頭頂部はグルンと上に返ると睨んできた。
赤鬼のように真っ赤な形相をした男だ。
紫の霧の中からゆっくりと頭から肩と……胸のあたりまで押し出されてきた。
赤い坊主は仰向けで金縛りになっている先輩の体の上を顔に向かって空中を平行に移動しながら迫って来た。
眉間に深いシワを作り、睨みつける目からは強烈な殺意を感じた。
このままでヤ(殺)られる。
坊主の顔が顔に向かって迫って来る。

「目の前で爆発したんだ」

坊主の顔が弾けた。
腐ったトマトが爆発したように。
そこからの記憶がないという。
恐ろしい。先輩がやつれるのも無理がない。

「俺、あのアパートから出るよ」

「押忍!幽霊に命を取られる前にできるだけ早く出た方がいいです」

「……幽霊?スターボーズね」

「……スターボーズ?」

映画『スターウォーズエピソードⅣ』の冒頭に、煽りで巨大宇宙戦艦が飛んでくるシーンがある。あの映画のように、坊主が足もとから飛んできたので「スターボーズ」と名付けたという。

「映画のシーンを思い出して笑ったよ。坊主だし」

先輩は爆笑しながら、幽霊はその後も出たがお互いが干渉せず無視しあうことで共存できるようなったという。
とすると、先輩をやつれさせ、部屋から出る決断をさせた理由とは?

理由は……彼女に振られたから。

しばらくして先輩は自宅から大学に通うようになった。
やっぱり先輩は最強です!!「押忍!」

「スターボーズ」いたこ28号談」への3件のフィードバック

  1. 残尿以上本尿未満

    その幽霊物件は今もあるんですかね?あとその先輩はお元気されていますか?なんかその後も色々体験されてそうな気がしますねw

    返信
  2. いたこ28号 投稿作成者

    物件は無くなったとの話を聞きました。
    先輩は卒業してフランスに行かれて……
    今は連絡取れずな状態です。

    返信
  3. さかい

    久しぶりにこのネタ読みました。初めて読んだのは、1999年頃だったでしょうか。当時のサイトはアドレスを忘れてしまい、検索ワード:怪談、空手、呼吸法からスタートしてなんとかたどり着きました。スターボーズ、最高です。

    返信

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